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2009年10月

新潮社の作風VS宅八郎の作風(4)

「新潮社の作風VS宅八郎の作風(4)」

現在発売中の『週刊新潮』11月5日号。
その〝記事〟をさらに語っていこうとしている、オタク評論家の宅八郎です。
新潮もしつこいとは思いますが、しかし、ボクもしつこいよね(苦笑)。

新潮社はボクに取材し、インタビューする前からすでに「型を決めていた」とも思える。じつは「期待しているような応えしか、許さないような態度」が新潮社にはあったワケだ。それはすべてのマスメディアにも時に見られることかもしれないが・・・。それに対するボクの「現場対応」は先に記したとおりだ。
『週刊新潮』がかつての小学館ほど悪質悪辣であったなら、ボクも記者の実名を記し、実態やそのプライベートまでも調査していただろうけど、今回は知能戦だった。なのでボクなりには配慮している(敬意さえ払っていると言ったら言い過ぎだろうか)。

では、前回の続きから、〝新潮社と宅八郎のコラボレーション〟について記していこうかな。
確かにボクはもしかしたら「とび職」という言葉が誌面に踊るかもしれないとは予想していた。電車内「中吊り広告」を視て、それは確信に変わった。
中吊りは吊りであり、釣りでもある。
しかし、さすがにボクも記事の中見出しがたった3文字で「とび職」とは思わなかった。これは新潮社の凄すぎるスキルである。文章表現技術力の高さね。
たとえば、これが小学館などであれば、中見出しも「○○○とか抜かしている宅八郎はとび職をしている」とか何とか、それ自体が〝文章〟、少なくとも〝文節〟構造をともなうものになっただろうことは想像に難くない。
しかし、キャッチコピーの基本として、可能な限り短く表現したほうが、「強い」のは間違いない。
そこで『週刊新潮』は読者に伝えたいことを「とび職」と、たった3文字で表現しきっている。見事と言うほか無い。
「宅八郎の糊口」→「とび職」という構造ね。

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ただし、ホメているばかりじゃありませんよ、ボクは。
タイトルには「糊口」という表現がある(糊口は「ここう」と読みますが、簡単に言うと〝しのぎ〟〝食いぶち〟ってことで良いかと思います)。
あのね、ボクは文章表現者だから、「糊口」は読めるし、意味は理解できるけど、世間一般の人たちが「糊口」って正確に「ここう」と読めて、意味が伝わるだろうか(電話などで耳で聴いた場合の響きも含める)。
大体、今は政治家ですら漢字が読めなかったり、読み間違いを笑われてる時代なんだよ。かくいうボクも最近はパソコンを使っているので、「読めるけど書けない漢字」は確実に多くなっている。
それほど若い読者には伝わりにくい「糊口」(ここう)という表現を選んでいるのに、中見出しは「とび職」なわけ。漢字で「鳶職」ではなく、ひらがなで「とび職」(笑い)。『週刊新潮』読者層なら、漢字で「鳶職」でもいいじゃない。
このちぐはぐさは最高とも言えるわけだが、ボクが着ていたKinKi KidsのTシャツも「きんき」と、ひらがなだから、もしかしたら意識したのかな、とも思えてきて、それらの三点責めでもはや〝新潮社と宅八郎のコラボ〟とも考えてしまったんだね(笑い)。

取材を受けて、「新潮社」は凄すぎるなとボクは思い続け、賭けに出ることにしようと、言い切った言葉、それが「とび職」だった。
新潮社は聞いてこなかったから、書いていないことがあるので、読者に伝えておきましょう。
なぜ、ボクがとび職のアルバイトを始めたかと言えば、「高い所から世の中を眺めてみたい」と思ったからです。「自分のような底辺の人間が高い所に登ってみたかった」からです。しかし、一つ間違えれば命を失う、大変な命がけの仕事です。
(「上から目線」の音楽評論家にもそういったフィールドワークは必要かもしれませんが、簡単にできるような仕事でないのも確かです。すべての「職人さん」に対する敬意はボクの基本姿勢です)

さて。『週刊新潮』発売号の該当ページにはボクのブログ文面を引用して、以下のような記述が出てきている。
〝問題のブログには、
〈判決は決まった。「死刑だ!(中略)ボクは何度も何度も「通報」されている。
通報通報通報通報通報通報通報通報通報通報通報通報通報通報通報通報!〉 と、不気味な文言を書き連ねた〟

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しかしね、新潮さんが言うように、ボクのブログ文章も「不気味」かもしれないが、『週刊新潮』という雑誌も相当に「不気味」すぎるとは思うね。
どこがどのようにか、分析すればキリがないと思うけど、何せ「黒い報告書」と「谷内六郎の表紙絵」が同時に存在している、魑魅魍魎の異世界なわけ。
パラパラと雑誌を開いて載っているページを読んでいけば、そこにはかなりえげつなく、ドロドロした記事が並んでいるのに、表紙は「夕焼け小焼け」とか「田んぼで遊んでいる子供」のような叙情的「絵本」みたい絵なんだからね(ほのぼのと日向ぼっこしてる子供も、お日さまが沈んだら、妖怪が出てきちゃいますよ)。
このギャップはもはや「作風」「芸風」なんだろう。

しかし、ボクは新潮社の取材を受けている時に、じつは色々と考えていた。それぞれの、世にも奇妙で怪奇な「怪物性」について、である。
次のようなことだろうか。

1.(斎藤十一の影は強く感じるが)新潮は確かに大衆が無自覚無意識に持っている「恐ろしい何か」と結託しているように思う。それはめまいがするほどに憂鬱なものかもしれない。しかし、表現をしていく上で、宅八郎にも何かとの結託をしようとしている面はあるか、とも思う(ただし、ボクの場合は結託しようという意志はあっても、〝相手〟に拒絶されているかもしれません)。
2.また、「新潮社の作風VS宅八郎の作風」は実は一種の近親憎悪である可能性すらある。新潮社は何かしら宅八郎に「嫉妬」しているのかもしれないし、逆に宅八郎は新潮社に何らかの「嫉妬」をしているかもしれない。
3.ただし、以上のような可能性を否定できないが、ボクの頭脳と感性ではまだ整理し切れていない。

「読む人」それぞれがそれぞれに何かを感じるのかもしれないね。

最後に次のようには言えるかな。
『週刊新潮』は「糊口」という難しい漢字表現を選んでおきながら、かたや、「とび職」と平仮名表現を選んでいる。さらに掲載したボクの写真はアレだ。
そのデスクあるいは編集長の「時代に対する言語感覚」は不思議ですよ、と。デスクさん、編集長さん、人事異動で『nicolaニコラ』編集部に行ったら、通用しないよ!(そういう異動があるのかは知りませんが、逆もつらいだろうなwww)
『週刊新潮』編集者・記者それぞれも『nicolaニコラ』編集部や『ニコ☆プチ』編集部から出直すことを強くオススメします。
http://www.nicola.jp/
http://www.shinchosha.co.jp/nicopuchi/

ただ、ボクも新潮社とはわざわざモメたいわけではない。新潮社にお願いすらあります。
ボクをぜひ「ニコモ」や「プチモ」にしてください!(正確には「メンモ」)
「ニコモ」や「プチモ」のみんなと遊びたい、おともだちになりたい!
http://www.shinchosha.co.jp/nicopuchi/profile.html
この中に「ハチロー」って紹介されたいっ♪

(とりあえず、おわり)

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新潮社の作風VS宅八郎の作風(3)

「新潮社の作風VS宅八郎の作風(3)」

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(※筆者注・「糊口」は簡単に言うと〝しのぎ〟〝食いぶち〟ってことで良いかと思います)

現在、絶賛(?)発売中の『週刊新潮』では1ページ人間になった宅八郎です(『ウルトラQ』では「1/8計画」って回がありましたね)。
「とび職」、つまり「Tobi-Shock」。いつでもボクは危険な綱渡りをしているわけです。
すでに昨日までのボクの記述で、新潮社社内でも「何かに気づいた」人間はいるだろう、それは『週刊新潮』編集部でなくともね(フフフッ)。
その「作風」について記述する前に、まずは取材における「風景」を読者に知っていただきたい。そのほうが速いかもしれない。
以下は10月25日午後に行われた『週刊新潮』宅八郎取材の詳細だ。

『週刊新潮』記者(以降、新潮) これまでの宅さんの記事では、「処刑」「殺す」という書き込みは、宅さんの作風・芸風であり、危害を加えるつもりはなかったという見解が紹介されていますが、その点について詳しくお話しをお願いしたい。
宅八郎(以降、宅) 詳しくと言うのであれば、ボクが明けて今日(10月25日)深夜から早朝にかけて3つ記した「見解と声明」という長文にわたる手記を良く読んで下さい。その上でお応えしましょう。
新潮 なるほど。それはすでに読んできています。2ちゃんねるをはじめ、ネット上で「○○を殺す」「○○を爆破する」というコメントを書き込んだ人が脅迫容疑で逮捕されていますね。
 記者さん、待った。爆破の場合は〝脅迫〟でなく、〝業務妨害〟の容疑になると思われます、そこはあなたの法認識の間違い、です。
新潮 ・・・あ、確かにそうですね。なら一般ユーザーの「殺す」という投稿は逮捕されますが、では宅さんの「殺す」というコメントは「表現である」と主張される根拠と、両者の相違点はどこにあるのかを教えていただきたい。
 それについても、詳しく手記に記していると思います。何もボクが「自分だけが特別だと特権的に思っていない」ことは分かるはずです。
新潮 ネオ麦茶のような、匿名で殺人予告をされるのと宅八郎という、顔が見える評論家として「殺す」と書くのでは違う、という解釈でよろしいでしょうか?
 その解釈でも、ほぼかまいません。

ここまでは、予定調和のインタビュー、質問と応えだったとも言える。
その後に、まるで「笑っていない眼」を輝かせるように、『週刊新潮』らしさを濃厚に、まるで獲物をいたぶるような仕草を記者は取り始めるのであった。編集権は相手にある。こちらには、スキを見せるわけにも「つい漏らしてしまった」という失言も許されない。
すべては「現場」のアドリブ、反射神経、スタンド性能の問題だ。
ここからが、「作風」対決の真骨頂である。

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新潮 四方氏について、音楽評論家の「個人情報」をネット上に晒した、という点についてはいかがお考えでしょうか?
 「実名を晒された」って話なら、四方宏明は音楽評論家としての活動を実名でしている人ですからね。会社も知っている。晒すも何もない。または御社から出版されベストセラーになった書籍『電車男』は「匿名性」記述に支えられた表現でもあるわけです。逆に実名による表現もありえます。
新潮 (嬉しそうに)『電車男』はウチから出した本ですね。
 あの本は装幀やタイトルのロゴデザインも秀逸だったと思っていますよ。では話を四方処刑に戻しますね。「社名」うんぬんの話であれば、外資系大手P&Gは「マーケティングに対する自負」で(特に広告代理店やマスコミ筋には)有名な企業です。彼自身、音楽評論家としてはマーケティングの観点からも思考し、活動していた側面があるだろうと、ボクは感じています。もっともメディアにとって巨額の取引高がある、大スポンサーP&G。その名を記すおつもりが御社にあるか、分かりませんが(※注・結果はなかった)。
新潮 話を続けて下さい。
 音楽評論家であれ、何の評論家であれ、発言力のある人間の「お言葉」を支える「何か」を調べて追及していくのも決して無意味なことではないでしょう。ボクが四方宏明批判をしていく上での作風は「生のコンテキスト(文脈)」を視る視点を含んだものだったとも言えます。
新潮 それは?
 ボクだけでなく、一般的にたとえば犯罪報道に顕著ですが、「どこで生まれて、どう育って、何をしている人間が、どのような発言や行動をしているか、したのか」などという意味での情報は出ますよね。卒業文集とか同級生の発言とかも含めて。
仮にそれが何かの「像」を「立体的に視る」ことなのだとしたら、それって、『週刊新潮』の作風にも通じているかもしれませんよ。
この取材そのもの! 今!

新潮 ウチが? 今?
 新潮社、『週刊新潮』の作風・芸風というのは斎藤十一の作風でもあっただろうし、ただしその斎藤スタイルはまた時代によって変わっていった面はあったかとは思いますが、現に引き続いている影響は分からない。御社の社内事情はあなたのほうがお詳しいかと(苦笑)。
新潮 (苦笑)。
 じゃあ、別の例を挙げましょう。ある出版社のベストセラーでその名も『東電OL殺人事件』という本があります。しかし、被害者が殺害された因果関係を考えれば、もしかしたら本来は「渋谷売春婦殺人事件」というタイトルでも良かったかも知れないですよね。勤務先を記さなくとも。殺害された事実と東京電力のOLであったことの因果は薄いわけですから。しかし、『東電OL殺人事件』と題したことは、ある意味で「生の文脈」を重視したんだろうし、それは読者、つまり世間から欲されていた何かの「欲望」による「表現」なのだとは思います。
新潮 犯罪報道であれば、もちろんそうですが、宅さんのなした表現は違うでしょう。
 「報道」は良しとし、個人の表現を否定する特権意識に疑問を感じますが、では、もう一言言います。報道性、速報性を超えて、その出版社はその後になってから『東電OL症候群(シンドローム)』という本さえも出していたはずです。売れるという判断かもしれませんけど、これは一体何でしょうか(笑い)。まさか、東京電力に勤務しているOLさん全員に共通する「病」なのでしょうか・・。さて、その出版社とは新潮社という出版社なわけですがっ!
新潮 「宅八郎節」ですね・・・。

スキあらば、相手は突っ込んでくるだろう。バカじゃない。むしろ逆でボクの頭では、とてもかなわないような優秀で頭脳明晰な御方だ。
マンガファン方々からは怒られてしまうかも知れないが、まるでリアル「DEATH NOTE」だった。それは心理戦、頭脳戦、そう知恵競べという意味で、だ。
世代を変えて例え換えれば、「明智小五郎対怪人二十面相」かなー(苦笑)?
自分の言葉尻のどこをどう「切り出して」書かれるか分からない。じつは記していない誘導尋問も多かった。一手先、二手先、その先さえ読まなきゃならないし、そのまたさらに裏をかかなきゃならないのは大変だよっ。罠と罠の掛け合い。恋のワナワナ。
「サシの勝負」だ。
いつしか、ボクが記者の質問を浴びながら「性器が勃起していたかどうか」、はいずれ世間に知られることになるかもしれません。
しかし、次から「何か」が姿を現す。

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新潮 ほほう。では、宅さんの最近のお仕事について、何をされて生計を立てていらっしゃるのか、お伺いしたい。本誌が過去に宅さんを取り上げた最後の記事はホストクラブ勤務を取材したものです。その後、非常勤になったことまでは存じ上げていますが、現在も指名があれば通っていらっしゃるのか、それとも別の活動を中心にしていらっしゃるのか、生計について教えていただきたい。
 (ふ〜ん、そうか。そここそが今回、最も聞きたいことだったのだね、新潮さん。ボクは心の中でそうつぶやいた)
まず、大きく2つに分けて話させていただけますか。1つはボク自身が本業だと考えている肩書きの問題。もう1つは副業および収入について、です。
ホストクラブ非常勤うんぬんはおそらくWikipedia記述などの誤情報でしょう。それは間違っています。とっくの昔にホストクラブからは足を洗っています。すでに数年も経っていて、今は一切関係していないです。
新潮 「オタク評論家」っていったい何なんです?
 肩書きです。肩書きというのは資格職ではないでしょう。民間ですし。肩書きは自分で名乗った場合に適用されるとは考えていますが、もちろん実績は必要です。なぜなら、読者や世間に対する説得力の問題もありますからね。決して「言ったもん勝ち」だとまでは思いません。ただし、「オタク評論家」とは「オタク分野の物事についての評論家」かもしれないし、「オタク的立場で事象を視る評論家」かもしれませんが、そこは読者の持つイメージにゆだねてます。まあ、テキトーです(苦笑)。

新潮 「評論家」?
 さて、ここで「評論家」という言葉です。岩波書店から出た本だったかなと記憶しますが、「自分は評論家ではなく、批評家だ」とした際の、早稲田大教授・加藤典洋さんの場合もあります。しかし、世間では「評論家」と「批評家」の区分けを明確にしている人が多いとは思わないです。記者さんは今この場で区別して言えますか?
新潮 ・・・・・。
 それだけ、非常に定義はあいまいだと言うことです。「学者」もそうで、必ずしも大学教員を指してはいません。また、文芸評論家の評論はそれ自体が「文学」になるケースもありますから、すると「作家」になるでしょうか。また「経済評論家」などと称されるのを嫌って「○○アナリスト」と名乗っている方もいますね。要するにボクが「オタク評論家」という肩書きを名乗っているのは、ボクの「勝手にしやがれ」です。
新潮 でも「評論家」だと?
 確かに「評論家」という言葉が含まれてはいます。もしかすると、新潮さんや世間には「宅八郎ごときが評論家かよ」と思う方もいるのかもしれないです。ただ、それは高みに立っている、威張っている、エラソーにしているという意味ではないと思います。たとえば、世間一般企業の社長に実行力がなく、自分や社員の会社なのにまるで人ごとみたいな態度を取っている社長の場合は、社員さんたちが悪口・陰口で「ウチの社長、あの人は〝評論家〟さんだからねー」と否定的なニュアンスで使われる場合もありえますからね(苦笑)。
新潮 もういいです! 宅さんが何をされて生計を立てていらっしゃるのか、分かりにくいので、他に何かあれば教えていただきたい。
 音楽活動に移行している面もあります。バンド「ハチロック」はほとんどお金になっていませんが、多少の収入になっているのは、DJ「メカヤクザ」とリミキサーということになります。
新潮 リミキサー?
 要するに楽曲の再編集という理解で結構です。
新潮 音楽評論ではなく、御自身で?
 これは新潮社から小説も出版されている作家であり評論家である方を指していたかと、あいまいに記憶していますが、ビートたけしさんが芸人評論を逆批判して「ガタガタ言ってるなら、おまえがお笑いやってみせろ!」と言って見せたことの共鳴から来ているかもしれません。実践無き評論は四方宏明であり、ボクはそうではないとも言えます。


新潮 では、宅さんが何をされて生計を立てていらっしゃるのか、収入をお伺いしたい。
 (税務署かよ、と思いつつ)複合的な収入にはなりますよ。出版社の方であればご理解いただけるように、今は出版不況ですよね。書店も大変だ。出版社もWebビジネス展開を手がけている傾向はあります。当然、ボクのような立場でも影響は受けます。文章の執筆だけでは食えなくなっているのは確かです。ただ、逆にWebがらみの仕事が発生したり、デザインを含めた仕事になったりすることはあります。ボクの場合、朝鮮語翻訳の仕事もあります。
新潮 それで。
 その他で言えば、イベントプロデュースを手がけていたり、企業の顧問を務めていたりもします。そのため、非常に複合的で一言で言えない面はありますが、まあ「何でも屋」ということで構いません。
新潮 肩書きと言い、何をされて生計を立てていらっしゃるのか、分かりにくいですね。
 では別の例を挙げてみましょう。ネット時代にあって、活字表現媒体は減っているのは事実ですが、下町の職人さんが「最近あまり仕事入ってこないなー」と言っているのと同じかもしれませんし、影響力のあった評論家・平岡正明さんも晩年は連載をお持ちでなかったと思いますが、彼は亡くなるまで「評論家」だったでしょう。もちろん職人さんは職人です。また、政治家が選挙で落選して、いわゆる「浪人中」という場合でも、本人もしくはメディアも「政治家」とするでしょう。

新潮 その話はもう結構です。では、宅さんが何をされて生計を立てていらっしゃるのか、お伺いしたい。
 じつは、とび職のアルバイトもしています。
(すごいな、とボクは思い続けていたが、言わなければならないコトを言うコトにしようと思った・・・)
新潮 「とび職」! それで、それで。それは、それはどういうことです。ぜひ、ぜひ、その話をお聞かせ下さい。
 (ここで食いついてくるわけか。納得したいわけか、と理解したボク)
生活費を稼ぐためです。本業だけで生きていける時代ではなくなっています。時に副業が収入的には多くなることも世の中ではあることでしょう、ボクもそうです。全収入の内、とび職で得た収入の占める割合は大きいです。ただ、本人が考える「本業」と「副業」は異なることもあるかとは思います。
新潮 それはそうですよねー。
 とび職は「親方」ではなく、「下っ端」です。とび職の下っ端です。怒られてばっかりです。
新潮 なるほど、分かりましたー。
 ご理解していただいて、ボクは幸福者(しあわせもの)です!
(新潮社の〝ご理解を理解〟できて、ね)

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しかし、新潮社の「作風」は生ぬるいものではなかった。さらに最後の追撃もあった。

新潮 では、最後にお聞きしたいことがあります。DJであり、オタク「評論家」なのであれば、現在騒がれている酒井法子被告・高相祐一被告についてお伺いしたい。同じDJとして、また評論家と言うなら「言葉」にして語ってみせてください。今すぐ、ここで! クラブやDJにとって、いい迷惑だとか、おっしゃりたいとか?
 「DJサイバーのりP」と「DJメカヤクザ」では音色音源など、DJとしての「作風」は異なるとは思います。
ただし、ボクはすべてのDJやクラバーの選挙などによって、正式に選出されたような立場ではありません。なので彼らの声を「代弁」するようなことはとても出来ません。ただ、一言言うとしたら、「もし、ボクが酒井・高相被告に問われている容疑がかけられたとしたら、メディアからは〝ヤク八郎〟と記されたいですっ」!
新潮 (大爆笑)それなら、ウチ(『週刊新潮』)の読者年齢層でも理解可能な表現です! 
 70年代のオイルショック(Oil-Shock)を実体験している方々ですねー。
(何か自分の中で〝言葉〟が破裂している実感があった)
新潮 まさに「宅八郎節」ですねー。今日はありがとうございました。
 『週刊新潮』さんには、どのような書かれ方、取り上げられ方をされても構いません。ただ、掲載誌の送本だけはよろしくお願いいたします。

取材を受けた25日夜、ボクの頭の中ではすでに「とび職」という言葉がわんわんとCompressorをかけて、最大限のLimiterを切った結果、とてつもない音圧になっているサウンドとして聴き取れていた。
問題はボクの予感なり予想が的中するか、だった。あとは「頭脳対頭脳」「感覚対感覚」だけだ。

さて。
そして、ボクの記事は10月26日午後(夜ではなく早めの時間)に校了していると思われる。週刊誌の印刷所としては珍しい大日本印刷だ。ただし『週刊文春』編集部のすぐ横に××印刷×××があるように、『週刊新潮』にも大日本印刷の部署が隣接しているかは知らない。しかし、新潮社と大日本印刷本社とは歩けるほど、わずか1キロほどしか離れていない。
そして『週刊新潮』は、10月28日に編集部に大日本から納品された後に、担当編集者によって、ボクの自宅に送本されてきた。届いたのは昨日29日だ。
ただし、ボクが感じ取った動きは28日、電車内「中吊り広告」だった。それはこの一連の文章の(1)に記している。中吊りの一行を視て瞬間的に思った。
「勝った!」って。
たった、つかの間に過ぎません。しかし、少なくとも、その時点では思った。『週刊新潮』の作風から考えれば、逆襲してくる可能性はあって、もちろんボクは今後「征伐」されちゃう可能性だってあるかもしれないが。。。

現在発売中の『週刊新潮』記事はもはや〝新潮社と宅八郎の合作〟とさえ言える奇跡的な着地点を見せている。
●見出しタイトル「糊口」
●中見出し「とび職」
●KinKi Kids「きんき」Tシャツ
それぞれの総合バランス。

では、ボクの「とび職」への道、また新潮社の作風についての見解は、まだまだこれから記していくことにする。

(つづく)

※なお、ボクは受けた取材について、いちいち、こんな風に取り上げるようなことはしません。これは相手が新潮社だったから面白いと思ったんです。今後、ボクを取材する関係者さまは御安心下さって大丈夫ですよん♪

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新潮社の作風VS宅八郎の作風(2)

本日、発売されました、『週刊新潮』!
最高でしたよ♪
予想を超えて、驚くべきコトに、宅八郎記事はほぼ1ページのスペースを割いていました(ワイド特集の1つであるため、1本ごとのネタはまたがったようなレイアウトにはなってます)。ボクは8分の1ページ人間か、4分の1ページ人間だと思っていたんですけどー。

見出しタイトルは〝「ブッ殺します」で書類送検された「宅八郎」の糊口〟
そして、中見出しは太字で〝とび職〟です!

また、電車中吊り広告でのボクの写真は、統一地方選の渋谷区長選挙に出馬した際のポスター写真でしたが、誌面に掲載された写真は「宅八郎がKinKi Kidsの〝きんき〟Tシャツを着て、マジックハンドを片手にし、背後のパソコン・ディスプレイには古いジャニーズ・タレントが映ってる写真」でした(笑い)。

これらの「バランス」の絶妙さはもはや文芸的です・・・。
(※筆者注・「糊口」は簡単に言うと〝しのぎ〟〝食いぶち〟ってことで良いかと思います)

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ただし、アラサー世代(30歳前後)の女性に聞いてみると、「宅さん、『週刊新潮』って古い病院に置いてある雑誌でしょ、読んだことないな」とのこと。ボクは「裏原宿のヘアサロンはもちろん、町の美容室にも置いてないと思うよ」と応えておきました。男女ともにさらに若い10代、20代の方は読んでいないどころか、知らない可能性さえある週刊誌だと思います。現実には『週刊新潮』の読者層は男性中心で50歳代後半から70歳代くらいではないか、と推測しています。
残念ですね。若い人にもある意味で面白い雑誌ですよ。

では、以降に「新潮社の作風VS宅八郎の作風」について、つづっていきたいと思います。

昔の話になるが、かつて『週刊文春』編集長だった花田紀凱さんとお会いした際に、ボクがイタズラ心を出して、「花田さん、宅八郎が最もソリが合わないだろうなと思える出版社・新聞社ってどこだと思います?」と聞いてみたことがある。
ボクの場合は「御社ですよ!」とかって言いそうでしょ(苦笑)。しかし、違った。
花田紀凱さんは、ボクをじっと見ながら「宅さん、そりゃ、新潮社だろう!」と応えた。
「さすがだな」とボクはうならされた。ボクの期待通りの応えだった。
もちろん、読者に誤解して欲しくはないのは、決してボクが好き好んで新潮社とモメようとしていたワケではない。何の機会だったか忘れてしまったが、新潮社が主催した神楽坂でのパーティにニコニコ顔を出したこともあった。原稿依頼をしてくだされば、ありがたく書きたいし、同社の文学賞を下さるのであれば、もっとありがたい(苦笑)。
花田さんとの会話で出た「ソリが合わないだろう」とは、あくまでも「作風」違いの問題である。
(※注・ここでは『nicolaニコラ』や『コミックバンチ』などは含めてません、同社では『nicolaニコラ』が一番出させてもらいたい媒体です、「ハチローと遊ぼう!」みたいなコーナーで♪)

ボクは「平成サヨク」とメディアから称されたこともあり、左派リベラルに近い立場かもしれない(真にそっち系の方からはウチに来ないでくれ、とか言われそうですがっ)。また出版社系週刊誌で、二大保守と言えば『週刊新潮』と『週刊文春』になるだろうけれど、ボクは「文藝春秋」は(論点論点で異なりますが)、それほど「ソリが合わない」わけでもない気はしていた。

では「新潮社の作風」とは何かと言えば、今は詳細な「新潮社の研究」「斎藤十一研究」などを記したいわけでもない。
その「作風」をマスメディア関係者でなく、一般の方に分かりやすく説明するとしたら、やはりあの事件だろう。

「神戸連続児童殺傷事件」(通称・酒鬼薔薇聖斗事件)での新潮社報道である。当然、事件そのものは衝撃的な記憶がある方も多いだろうし、あの陰惨な事件の詳細はいくらでも調べることが出来ると思われるので、簡単に記せば、加害者は当時14歳の中学生であった。
少年法には次のような制定がある。61条だが「少年犯の氏名、年齢、住所、容貌などが明らかとなる記事や写真を、新聞および出版物に掲載してはならない」という制定だ。
ところが、新潮社が1997年7月2日に発行した写真週刊誌『FOCUSフォーカス』(7月9日号)には少年の顔写真と実名が掲載された。もちろん、流通販売業者の大手は販売自粛決定をしたが、新潮社は回収せず、販売を強行。さらに翌日7月3日発売の『週刊新潮』(7月10日号)は目線は入れたものの、やはり少年の顔写真を掲載して販売。
さすがにその翌日には法務省が『FOCUS』と『週刊新潮』を問題として回収勧告したが、新潮社は断固拒否。当時は不買運動も起きている。現在ではバックナンバーが所蔵されている全国の図書館でもそのページの閲覧停止措置が執られているはずだ(ネット上での流出の問題はある)。
この事件や、その報道のあり方には、様々な方がそれぞれ様々な見解をお持ちだと思われるが、これが「新潮社の作風」を象徴する一つの姿勢だ。

また、この例だけでなく、新潮社はこれまでにはいくつも訴訟を抱えている。またボクが書いてきた文脈と性質は異なるが、新潮社で思い出したので記しておくと、最高裁の司法判断を仰ぐに至ったケースもある(新潮社側が敗訴している訴訟で最高裁での憲法上の重要判例を勝ち得た〝対立側〟弁護士にはボクもお世話になったことがあった、ありがとう梓澤さん)。

やや話が大げさに見えるかも知れない。しかし、重大な事件報道ではなく、新潮社がゴシップ程度に人を取り上げる際であっても、その取材手法や記事の文脈、見出しなどの文面、文体などは特徴的である。「作風」としか言いようがない。
一言で言ってしまえば、もはや「悪意」とも捉えられうる角度からの「イヤミ」や「見下した態度」。「そんなことまで聞いてくるのか」「今回それが関係あるのか」と受け止められるような取材、さらに読者の「野次馬根性」「好奇心」に火を付けるような手法など。
ただし、文章表現の「技術水準」ということになると、ボクの見解は異なってくる。
これは講談社の編集者と話をしていた時に、彼から出てきた言葉だったが、「新潮社媒体の文体・文章力はとてつもなく高く、かなわない」というものだった。ボクもその部分は同感ではあったので大きくうなづいた(過去形になるかもしれませんよ、新潮社さん)。
要するに記事や文章の「技術力」はトップレベルである(あった)。しかし、こうは言えるかも知れない。そこまで巧みな表現でなされた記事は、これほど悪質なものはない、と。

さて。今回、ボクの記事では、その中見出しは太字で「とび職」と、たった3文字でまとめ切っている。お見事!

次回はこの記事の取材や表現、つまり「作風」について、さらに踏み込んでいきたいと思います。

(つづく)

※なお、ボクは受けた取材について、いちいち、こんな風に取り上げるようなことはしません。これは相手が新潮社だったから面白いと思ったんです。今後、ボクを取材する関係者さまは御安心下さって大丈夫ですよん♪

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新潮社の作風VS宅八郎の作風(1)

先日、『週刊新潮』から取材を受けた。
メディアについてお詳しい方であれば、新潮社の「作風」はご理解いただけるだろう。そして、その取材はまさに「新潮社の作風と宅八郎の作風の静かな激突」でもあった。ボクは「どのような取り上げられ方でも構いません。ただ掲載誌の送本だけはお願いします」と最後に告げている。

掲載は明日10月29日発売の「11月5日号」だ。
まあ、ボク程度の人間の、今回程度の事件であれば、それほど大きい扱いにならないだろうことは皆さんご理解できるでしょう。さらに、世の中は酒井法子や国会の話題で持ちきりである(テレビなど放送であっても、出版物など活字であっても、マスメディアは当然そうした配分がなされます)。

今日、先ほど新潮社のサイトに明日発売の『週刊新潮』電車内「中吊り」広告がアップされた。
やはり、大きくページが割かれているに違いないのは「酒井法子さん」「鳩山国会」「長門裕之さん」の話題だと、中吊りからも理解想像できる。ボクの予想通り、真ん中の「ワイド」のようなくくり記事の一つにボクの名前が出てきていた。これも予想通りだった。「隣は何をする人ぞ」というトピックコーナーらしく、その中の一記事だから、おそらく大したスペースでない小さな扱いの囲み記事だろう。『週刊新潮』の読者年齢層考えてもねー。
はいはい、ボクはせいぜい4分の1ページとか8分の1ページとかの人間ですから。
面白いのは中吊りの一行だ。

「『ブッ殺します』で書類送検された宅八郎の糊口」

ですよ(笑い)。
(※「糊口」は要するに〝しのぎ〟ですね)

ボクはもちろんまだ掲載誌を読んでいないわけですが、本当にワクワク楽しみにしています!

御興味御関心のある方は読んでみて下さい。そして、何らかの疑問を抱くメディア関係者がいらっしゃれば当然、質問や取材をまた受けます(さすがにもう無いかw)。
また、追って「新潮社VS宅八郎」の「作風合戦」については記すつもりもあります。

20091029_6

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「宅八郎容疑者」としての見解、声明だよ〜♪(3)

読者のみなさんへ
注意があります。『「宅八郎容疑者」としての見解、声明だよ〜♪』という長文記事は(1)から(3)まであります。しかし、深夜から早朝にかけて発表していったために、順番が(3)〜(1)に掲載されています。
文章には流れがありますから、可能であれば(1)〜(3)の順番でお読み下さい。


「宅八郎容疑者」としての見解、声明だよ〜♪(3)(長文)

状況の変化がなければ、報道ももうそろそろでしょう。
テレビ番組ではボクが把握している限り、今日25日(日)朝8時〜放送の日本テレビ系『TheサンデーNEXT』(司会・徳光和夫)で取り上げられるようです(9時くらいではないかとのことですが、変更される可能性あり)。

さて。今回の事件の取り調べの中では、ボクが書き記したネット上の文章表現が問題とされているわけですが、最初は捜査員も緊張しているようでした。
いわく「何が書いてあるのか、秋葉系とか渋谷系とか、警察では分からない面が多かったです」「さらに宅さんの文章は専門用語が多くて、広い知識がないと、私の頭では難しすぎました」。
しかし、取り調べとはいっても、次第にお互い、なごんでくる面はあります(油断は禁物ですが)。
「宅さんのブログの文章って、ところどころギャグが入ってるでしょ。ホンマのところ、私は笑えましたよ」「それから韓国の話が面白くって、もっと読みたいです。私も韓国旅行に行きたくなりました」。
そこでボクも「どのへんのギャグが面白かったんですか?」と聞いてみました。すると、「私たち関西人でしょ。ベタなギャグが大好きなんです。たとえば〝女医とジョイ〟なんてダジャレは最高で、警察でも大爆笑してました!」
ウケるポイントは人それぞれです。
そこで、ボクも捜査員に提供した四方宏明資料の中から、「これ見て下さいよ」と、神戸に本社があるP&Gからの内部告発資料をボクが見せたら、「ええー、確かに神戸にあるあそこの大きな建物は知ってますが、社内事情はこんななんですかー、そんなー」と爆笑。

しかしながら、取り調べでモメる「場」もありました。あ、読者のみなさん、誤解しないで下さい。机をガンガン叩かれたとか、暴行を受けたとか、「今、吐いたほうが楽になるぞ」と言われたとか、そんなことは一切ありません。
供述調書の作成で、ボクが「このあたりから文章を盛り上げてみましょう」とか「グッと面白い調書にしましょう」とか「もっともっとキャッチーに書いて下さいよ!」とか「書くスピードが遅い!」とか、ガンガン攻めていったのはボクだったからです(笑い)。
ボクはスパークしてくると、そこがどんな場所であっても「劇場」になってしまうんですね。

ふとボクが捜査員に「宅八郎の取り調べって、どうなるんだろうって事前にどう予想してましたかー?」と聞いてみると・・・。
「宅さんが、〝黙秘〟と最初に一言だけ言って黙り込んでしまうんじゃないか、とも思ってました」とのこと。ところが、むしろスパークしたボクが多弁になる姿を見て、「昔からテレビで見させていただいて、宅さんの力説ぶりに感動していたんです。このエネルギーは何なんだと。宅さんは文章でもテレビ出演でも、こうした取り調べでも、本当に熱く語る方なんですね」と感心してくれてました(苦笑)。

今、少しは笑えるようには書いているつもりですが、ただし捜査員はしっかり「仕事」もしようとしてました。
たとえば、刑事事件の調書では「動機の解明」がなされている箇所を作る必要があったでしょう。しかし、ボクは権力側が期待しているような意味合いでの「動機」は一切語りませんでした。刑事ドラマや時代劇に見られるような「怨恨の線から犯行に及んだ」という文脈はないわけです。
そこで「主義主張なら語れますよ」と言いました。
「では、宅さんのお話しを聞かせていただきます」とのことだったので、ボクが演説をえんえんと始めたところ、しばらくして「宅さん、もうカンベンしてください」。
演説は〝言葉責め〟であり〝拷問〟だったのかもしれません(苦笑)。
しかし、ボクが「調書に署名捺印するのはこのボクだ。〝聞け〟〝書け〟!」とエスカレートしてくると、「申し訳ありませんが、宅さんの言うとおりの調書は作れません、ホンマすんません」だって。

また、笑っていた捜査員がこちらをキッと見据えてきたこともありました。
「兵庫県警の広報についてですが、すでに内部で相談してきました。こちら側から積極的に報道機関に情報をリークしようとは考えていないとのことです。ただし、もしかすると、漏れてしまう可能性はありますが・・・。しかし、どうして、こういうことを被疑者である宅さんに伝えるか、分かりますか?」
「宅さん、あなたは書くでしょう・・・。あなたは、こうして強制捜査を受けたこともきっと書くような御方だと思います。その場合、警察にも体面がありますから広報が動かざるを得なくはなります。出来れば避けたいですが」。

確かにボクは書類送検の前に原稿を書き記して発表するつもりでいました。しかし、順番が逆になってしまったのには理由があります。
それは兵庫県警が次のようにボクに告げていたからです。
「年内、おそらく12月にもう一度取り調べを受けていただくことになります。それは任意になるか強制になるか分かりません。任意だとは思いますが。その後、警察と検察が相談して判断していくことになるか、と思います」。
そこで、ボクは年をまたぐことになるな、と考えていました。ところが、一昨日、10月23日に捜査員がボクに電話をしてきたのです。
「じつは検察庁と打合せの結果、明日書類送検することになりました。どうして、このことを前日の今日御連絡したかと言うと、すでに報道機関から兵庫県警に取材が入ってしまったからです。事件が報道されるのは確実です。私たちは一次捜査機関です。あとは検察庁の判断にゆだねます」。

そして、この事態になっているわけです。

さて、取り調べにあたった捜査員のしっかりした仕事ぶりについて、最後に書いておくことがあります。
ここは調書の上で「情状酌量」の余地について記す必要があったのだと思いますが、「最後に被害者の四方さんに言いたいことはありますか? 謝罪する気持ちはありますか?」と聞いてきたわけです。「謝罪の意志」の確認です。

ボクは即答しました。
「四方宏明から謝罪してもらいたいと思っています、出来れば土下座で。Do Get Thatと書いて」!
「こんな下らない事件に税金使うようなことはおかしいですよ」!
取調室には捜査員が2人いましたが、その場は一瞬止まりました。通常の取り調べでは考えにくい状況、被疑者の言葉だったのでしょう。
数秒経って、「そういう調書は作れません」。
検察庁に送る調書としてマズイと考えたであろうことは想像に難くありません。しかし、ボクがさらに強く「供述調書の任意性について考えるなら、ボクの考えをしっかり記してもらいたい」と主張すると・・・。
「少し待って下さい、上司に相談してきます」と部屋を出て行った彼を少しのあいだ待たされていました。しばらくして捜査員は戻ってきましたが、「やはり調書にはスタイルがありまして、宅さんの言うとおりの調書には警察としてはできません」とのことでした。
ボクは言いました。「それが警察の『作風』なわけですね」。
もしかしたら、ボクの取り調べに当たった捜査員は次のように思っているかもしれません。
「宅さんは、もう沢山」。

このようにして、兵庫県警にとっての警視庁の協力を得た、東京での3日間は過ぎていったわけです。加えて、ボク一人の取り調べだけではなく、「この事件に関して東京での捜査が他にもあるんです。そのための令状も多数用意してきています」と言っていました。今回の強制捜査に関する捜査令状は相当の枚数になっているようでした(おそらくボクの契約プロバイダやmixi、各ブログ運営先のサーバに関するものもあったかもしれません)。ですから、きっと他の捜査員もあわただしく動いていたことでしょう。
また、内偵捜査(ボクが自宅にいるかどうかの確認)のために、8人全員ではないにせよ、3日以上の東京滞在を余儀なくされる状況はあったでしょう。
それらの出張費、捜査費用はいったいいくらになっているか聞きましたが、教えてはくれませんでした。しかし、神戸での捜査を考えるとそれ以外の予算も割かれたはずです。オタク評論家・宅八郎ごときのこの程度の下らない事件に多くの税金が投入されたのは事実です。四方宏明によって。今後も事態がどうなっていくか分かりませんが、検察庁が起訴に踏み切るなど、場合によってさらに血税が使われることになるのかもしれません。
ただし、ボクは「被告」になる覚悟は出来ています。

さて、「脅迫」についてです。
ボクは四方宏明に対して、「畏怖させたことも、害悪の予告をしたこと」もありません。「四方の生命、身体、自由、名誉または財産に対し害を加える旨を告知したことがない」わけです。あくまで、「表現手段」の一環として、「真実の追究」を目的として、「過激な表現」で原稿を執筆しただけです。
このあたりは、みなさんにも見解の相違があるでしょう。
しかし、研究者や学者、評論家やジャーナリストなどの「論争」にはかなり「過激な表現」の応酬がなされるケースはあるのではないでしょうか。もちろん、論点が異なる場合、異論反論によって「相手の社会的評価を下げる結果にいたる文脈」もあろうかと思います。それらは「脅迫」とはされていないですよね。
また当然、テレビでも報道でなく時代劇として『必殺仕事人』というタイトルなどは問題視されません。

「文脈」とはテキストに対するコンテキストという意味です。
「法」と「道徳→社会的規範」の問題には、今までのボクは留意し続けてきました。つまり、「ルールとタブー」ですね。ボクはルールは守ろうとしていますが、タブーは超えても構わない、と考えているわけです。

ボクは過去にその名もズバリ「処刑宣告」(太田出版刊)という書籍を出版したことがあります。また、1990年のデビューから約20年間にわたっての、ボクなりのメディアでの「表現」として、書籍や雑誌などで「殺す」と書いたことも何度もありますし、「刺す」と書いたことさえもあります。「死刑」と書いてもそれは『がきデカ』的表現で、個人が死刑を執行することは出来ません。また、放送メディアであっても生放送で共演者に対して「死んでもらいます」だの「明日からあなたを処刑することにする」と発言したこともあります。
もちろん、ボクはこの人生において「殺人」なり「傷害」などの前科もなければ、嫌疑をかけられたこともただの一度もありません。
なので、それらはもはや表現者としての「作風」「芸風」としか言えないものなんですね。

また、そうしたボクの作風・芸風(独自の表現手法)については知人であった四方宏明も理解していたはずです。コトバを使う、著名な音楽評論家・四方に、その理解がない・なかったとは到底思えません。そうは言わせません。なのに、被害届提出という方法を執った四方は自覚的であり、ボクの表現で言うなら「あまりに卑怯だ」とも思えます。

音楽評論家として「先生☆」を名乗り、人にモノを教えるような態度で「上から目線」で記事を執筆している四方宏明。しかし、いざとなったら「脅迫の被害にあった一会社員です」なんて言えるの、おまえ!
しかも、ボクが大阪で最初に会った際には、会社の名刺と2枚受け取った記憶があるよ。外資系大手企業であるP&Gの「部長」(だかエライ立場)にある自分を自慢してたじゃない。ボクは底辺の人間だよ。実名で音楽評論をしていて、そのことを会社も知っているじゃない。それが、いざとなったら「一会社員が実名や会社名さえも宅八郎によって明らかにされてしまった被害者なんです」とか、「泣き芝居」もいい加減にしてほしいよ!
四方、おまえ、書いたものに責任を負えないの? ボクは今回、執筆責任を追及されているんだよ。その上で主義主張は展開していくよ。それがロックだ、ポップだ、パンクだ、宅八郎だ。

ボクは一会社員に過ぎない「一般人」に対して、逆恨みをして攻撃を加えるなどということは過去にも現在にも考えてもいません。

一般的な意味でのネット上での「犯行予告」について記します。
2000年の西鉄バスジャック事件(ネオ麦茶事件)や、2008年の秋葉原無差別殺傷事件のように、ネット上での「犯行予告」「殺害予告」をした上で凄惨な事件が引き起こされるような時代にいつしかなってしまいました。そのために、「本気じゃなかった」「冗談だった」というようなネットでの安易な書き込みにさえも警察は対応し、それが取り締まりの対象となる時代になりました。
それらは「脅迫」だけでなく「業務妨害」などの容疑にもなりえます。
ボクもそうした事件はとんでもないコトだと考えていますし、安易で無自覚な匿名での書き込みはどうか、とも考えています。

しかし、ボクは冷静に思います。
それらに世間が過敏になり、人々が何らかのおびえを感じ、得体の知れない恐怖が世を包むのはなぜだろう、と。
それは一つには「素性の知れないどこかの誰かが、理由が見えない無差別大量殺人を起こすんじゃないか。いつ、どこで、誰が被害に遭うか分からない。自分がいつ殺されるか分からない」という恐怖心なのではないかと考えます。

ところが、今回のボクの事件はまったく性質が異なるものです。
匿名でなく「宅八郎」と名乗ったボク個人が、不特定多数ではなく(無差別とは言えない)「特定個人」に対して、さらには社会にもエンターティメントを提供する形での、あくまで「表現」としての「処刑宣告」だったからです。そこには、相手が著名な音楽評論家であるために、社会的公益性を鑑みる考えもありました。
もちろん、ボクの「処刑宣告」や「ブッ殺します」「地獄行きです」「死刑」といった表現は、当然、人間としての生命を絶つという意味での殺害予告ではありえません。

しかし、ボクの「作風・芸風」、その「表現」や「言葉選び」が時代によって解釈が変わってくることもあろうか、とは思います。ただ、頑固者なボク自身は変わっていないということでしょう。昭和の人間ですから。
「表現」とは何なのか。
「表現の手法」「言葉選び」はかつて議論された「言葉狩り」という文脈(神戸に住む大作家・筒井康隆氏の一時的な〝断筆宣言〟もお調べ下さい)や、「差別用語」(放送禁止用語など)の問題にも通じています。
新聞社や出版社には校閲部があり、テレビ局には編成部があります。「社としての一貫した姿勢」は出来るだけ徹底しようとします。
時代によって、メディアで過去に不適切な「言葉」や「表現」があったものが、ある時代には「自主規制」によって表現を変え、次には「むしろ、それは逆差別になるのではないか」と判断される時代もありましたね。また、言葉や用語の「言い換え」をしても、本質は何ら変わりはないのではないか、とメディアが自問自答している面もあるか、とは思います。
メディアもそれぞれに「表現の手法」を模索し続けています。しかし、ボクはフリーランスですから、「社として」ではなく「個人として」、そうしたことを検討・研究していく必要があります。その「余地」は大いにあります。

「表現の自由と不自由」とは何かをボクは考えていきたいです。しかし、ボク自身の姿勢は今後も何ら変えるつもりはありません! 反省? 冗談じゃない! ボクはそういう人間です! 
それが宅八郎だ!

最後に。
かなりの長文になってしまっているとは自覚していますが、分かりにくい面はまだあるのかもしれません。ただし、ある程度、ボクなりに合理的な説明をしたつもりです。必要があれば加筆もします。また状況が変わるようでしたら、みなさんに一定の理解が可能かも知れない説明をさせていただけるような、表現の「機会」と「場」があれば、幸いです。

(現時点での声明、おわり)

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「宅八郎容疑者」としての見解、声明だよ〜♪(2)

「宅八郎容疑者」としての見解、声明だよ〜♪(2)(長文)

捜査の流れについて、話を戻します。確実な動きがあったのは、つい先頃のことでした。
10月6日午前7時に、ボクは突然、兵庫県警東灘警察署警部補のS氏からの電話連絡を受けました。ボクはたまたま自宅を留守にしていたのですが、自宅をいきなり来訪したというのです。
(後に捜査員から聞いた話では、数日前から、自宅にボクがいるかどうか内偵捜査をしていたようでしたが、電気を付けっぱなしにして外出していたためw、分からなかったようです)
その通話で同署警部補S氏は「電話ではお話しできないことなので、突然来たのですが、兵庫県神戸市に住んでいる音楽評論家・四方宏明氏のことで少しお話しを聞きたいのです」とのことでした。
ボクは「病気治療のため、自宅に戻れるのは午後になる」ことを告げたところ、「では午後2時に再来訪します。それまでは警視庁の協力を得られていますので、所轄の警察署で待機しております」ということになりました。
この電話でボクは「事情聴取は任意か強制か」を警部補に確認しています。その上でボクは「場合によっては弁護士に連絡を取らざるを得ないですから」と話しました。
すると警部補は「弁護士の先生に連絡を取っていただく必要はありません。もちろん任意ですので、拒否なさることも可能です」との応えでした。
ただし、ボクにはやましいところは一切ありませんでしたので、「事情聴取を拒否しません。積極的にお話しします」ということになったわけです。

お昼に自宅に戻り、待っていたところ、午後2時少し前にドタドタと兵庫県警の捜査員8名がやって来ました。ボクは話を聞くだけなら、せいぜい2人くらいだろうとお茶を用意していたんですけどね(苦笑)。8人という人数。東灘署だけでなく兵庫県警本部の人間も加わった合同捜査の形でした。人数の多さに驚いていたボクに、捜査員たちは、いわゆる「家宅捜索差押え令状」を見せ、部屋に入ってきました。その令状に記された「脅迫罪」というボクにとっては不本意な被疑の記載を見ました。ボクは「任意でというのは、警察によるまったくのウソで、強制捜査だったのだな」と気づきました。

ただ、ボクは冷静にむしろ笑顔で「兵庫県から東京まで8人という大人数でわざわざ遠くまでいらっしゃって下さってありがとうございます。押収したいものは積極的にどこにあるか、お教えします」と応えました。
実を言うと、ボクはこの家宅捜索の一部始終をICレコーダーで録音していました。また、一部になりますが、小型のハイビジョン・ビデオカメラで映像記録しています。
ボクがなぜこのような準備をしていたかというと、以下の理由があります。

1.ボクがネットを中心に音楽評論家・四方宏明の批評論評を続けていたこと。ただし、これは憲法が保障する「表現の自由」の範囲内でボクは「真実の追究」を目的として執筆活動をしていたつもりですが、ボクの文章スタイル、作風・芸風は、世間には「非常に過激である」と受け止められる可能性を考慮し、覚悟していたこと。
2.ボクは音楽評論家・四方宏明とはあくまでも「言論」の範囲で「論争」を希望していたにもかかわらず、四方宏明は誠意ある態度をまったく見せず、四方はどうやら「お上に言いつけるかもしれない」不穏な動きを察知していたこと。
3.文筆家として活動していた経験から、警察権力を100パーセント信用していなかったこと。
説明します。ボクは1994年に「言論の自由」「表現の自由」をめぐって、別件不当逮捕された経験があります。〝当て逃げで逮捕〟という記憶がある方がいるかもしれませんね。しかし、内実は違います。まず、接触交通事故はすでに示談が成立していましたし、さらに真相・深層はあったのです。その際は道路交通法の「報告義務違反」(交通事故を届けなかったという微罪)での別件逮捕でしたが、その裏にあった〝本件〟は日本を代表する出版社「小学館事件」でした。関心を抱かれた方がいれば、ボクの著書『処刑宣告』(太田出版)をお読み下さい。
交通違反の捜査だというのに、当時の自宅に家宅捜索が入り、パソコンを調べられ、デジタル・データ、テキスト・データまで、すべて押収されています。交通違反で、ですよ(苦笑)。また取り調べも〝本件〟について行われています。
ただし、この事件に関しては逮捕前から釈放後まで、ジャーナリストの本多勝一氏や作家の安部穣二氏、ミュージシャンの小山田圭吾氏などから多大なるご支援をいただきました。
要するに、今回もボクは言論に対する警察権力の介入を予期していたことになります。

では、話を今回の家宅捜索に戻します。
自室でまず聞かれたことはパソコンのハードディスク容量でした。
「4テラ以上です」。
ボクがそう応えると、その場の空気が凍り、捜査員たちはため息をついていました(※4テラというと4000ギガ程度になりますが、テラはネット用語では「非常に」とか「とても」のような意味でも使われますね)。
「4テラ以上」と聞いて、固まっていた捜査員に対して、ボクは「何ならすべてを持って行ってくださっても、何をお調べになっても結構です。あ、そうだ、よくテレビで強制捜査のニュースが流れると、捜査員さんたちが段ボール箱をせっせと運んでますよね。いっそ、引越してくださってもいいですよ。引越手伝って下さい」と応じました。すると、兵庫県警捜査員たちは「それは・・・できません」とのことでした(笑い)。
「勝手にどこでもデータを捜してくれ」とボクは放置して見ていても良かったのですが、とても、彼らだけでは必要な資料を捜し出すことは不可能だろうと、ボクは考えました。デジタル専門の捜査員もいたのですが「Macはどう操作すればいいんだ?」と良く分からないようでした。

そこで、次々にボクは積極的に、四方宏明に関する資料をパソコンのハードディスクや記録メディアから提示して捜査員に提供しました。兵庫県警が求めてきたのは、ボクが国内最大手SNS「ミクシィ」の日記に記した文章(同社によって削除済み)、および、大手ブログの「アメブロ」(サイバーエージェント)と「ココログ」(ニフティ)に記した一連の文章とその資料などでした。
取り調べにあたった捜査員によれば、四方宏明は兵庫県警に対して一通ではない複数の「被害届」を提出し、受理されています。一通が「ミクシィ」に関するものだと説明され、さらに「アメブロ」と「ココログ」に関するものもあったか、と思います。最後の被害届が受理されたのは8月25日とのことでした(ボクが四方に言及した最後のブログ更新日が7月11日ですから、その時差は不思議ですね、四方!)。
捜査員からは、複数の被害届があっても、「事件は包括的に扱います」と説明を受けました。

ボクはせっせと資料をプリントアウトし、電磁記録データを提供し、パソコンやネット接続機器類などの押収に協力しました。その間も捜査員はボクの姿やディスプレイの画面など、次々に写真撮影していました。モデルもこなす宅八郎です。
押収物はパソコン本体そのものだけではなかったのですが、ボクはMacProというデスクトップとMacBookProというノートの2台のパソコンを使っています。しかし、MacProのほうはあまりに巨大すぎて重く(笑い)、捜査員たちはあきらめたのか、「パソコンの押収はノートのほうだけにします」ということになりました。

さて、捜査への積極的な協力によって、つまり、ボクは「逃亡のおそれがないこと」「証拠隠滅をするつもりは一切無いこと」を捜査員に示したわけです。これらは逮捕要件に関わるものだということは、法知識がある方にはご理解いただけるかと思います。

一段落したところで、ボクは彼らに告げました。
「ガサ状以外にフダもあるんでしょっ。捜索令状の次に今からボクに提示する、2枚目の令状を用意してきているんでしょう。であれば、ボクは弁護士の手配連絡をしたいですし、〝宿泊〟の用意もしたいです」と。
捜査員8名は少しあわてたようでした。ボクに対して「た、宅さん、2枚目の令状は今は用意していません(その後、逮捕令状、身体捜索令状が用意されるかもしれないという覚悟はありました)」。捜査員は話を続けました。「お話しをお聞きするのはあくまで任意ですから、弁護士さんや宿泊の用意はけっこうです」と告げてきました。「宅さん、警察をどうか信用して下さい。お約束いたします」とも言いました。
信用や約束があてになるかどうかは人の判断によりますね。
ボクは「分かりました。任意であれば、この自宅でお話しすればよろしいのですね?」と確認しました。
ところが、兵庫県警の捜査員たちは「供述調書を作成する取り調べですので、警視庁の取調室にしていただきます。ただし、今日は必ずお帰り頂けます。この自宅までクルマでお届けします」とのことでした。ボクは「警察って、もしかすると、密室での取り調べが好きなんだろうなあ」と思いました。

ボクは一般的な人間であれば「深刻かも知れない状況」をゲームのように楽しんでしまう性格のようです。捜査員の指示にすべて従うことにしました。

警視庁に移送されたボクは、積極的に取調室という「密室」での供述書作成にお付き合いすることになりました。じつはそれもボクは録音していたのですが。
捜査員は次のようにボクに告げました。「明日と明後日も事情聴取します。ただし、身柄拘束をする予定はないことは先ほど宅さんにお約束したとおりです」
体調が悪く、任意での取り調べとしては、もしかすると長時間になる供述調書作成は進んでいきました。ただ、ボクとしては「任意であれば、明日は病院への通院予約もありますし、今日可能な限り進めていただきたいです。ガンガンお互い頑張りましょう!」と告げました。
ところが、不思議なことに「今日はもうお帰り頂きます。明日、明後日進めます」とのことでした。

そこで、ボクは自宅に移送され、深夜から早朝にかけてメモや資料をまとめていたのです。兵庫県警の真意をはかりかねているボクが、睡眠不足の中で資料を記していた理由があります。
「捜索令状では〝被疑者不詳〟となっていたが、供述調書の段階で〝被疑者・宅八郎〟と変わっていたな。つまり、家宅捜索によって特定したわけだ。すると、確かに今日はもう一通の令状を用意してきていなかったのだろう。しかし、新幹線などの交通手段の限界で今日用意できなかったのかもしれない。早朝に兵庫県の裁判所に駆け込んで、発令してもらった逮捕令状をあわてて東京まで用意してくるつもりではないか。その可能性はゼロではないな」
ということです。

そこでボクは万が一、逮捕された場合に自動的にマスコミ報道機関各社に流れる「声明」を用意していたのです(苦笑)。時限セットしてあったそれは結果的には〝お蔵入り〟になったわけですが。

睡眠不足と過労の中で、3日間の捜査は進んでいきました。
ただし、それは過酷なものであったか、と言えばそうではありません。「自白を強要された」とかそういうことはありません。「むしろ逆」ですが、そのあたりを説明していきます。取り調べにあたった捜査員と談笑しながら、という感じもお伝えします。
もちろん、ボクは真剣勝負であり、細心の注意を払っていました。
たとえば、供述調書を作成された経験のある方であれば分かると思いますが、作成法としては、その人の話を聞いて、捜査員が調書を執筆します。作文です。そして、最後に調書を本人に「読み聞かせ」て、本人が認めたものとして、署名と捺印をするわけです。
ボクは話をする際に瞬時に頭の中で文案を考えて、そのまま文章にしやすく話すようにしていました。
また、最後に調書を読み聞かせる際、供述調書は捜査員の側に置かれています。対面しているボクからは逆さまなので、眼で追おうとしても困難です。
ボクは供述調書の文章を捜査員がそっくりそのまま読むかどうか、疑問も持っている人間なので、「ボクは耳で聴いて理解できない面があるから、自分の眼で読ませてくれ」と、調書をひっくり返して自分で読むことにしました。最初はすごく嫌な顔をされました(苦笑)。そして、読んでみて少しでも文面に違和感があれば、訂正させました。訂正だらけになりました(笑い)。そして最後に署名と捺印をする際にも、「一行空けて」といった指示は無視して、すぐに書き込んでいます。どうしてかというと、空白の一行に後から何かを書き加えさせないためです。

そうした作業の流れで、いくつもの供述調書作成は進んでいったわけです。
捜査員の人柄は大変良かったです。談笑していた部分を説明しますね。
この「事件」について話をしていく、あいだあいだに雑談もしています。
すると、ボクのことを相当調べてきたらしく、ボクがヴォーカルをつとめるバンド「ハチロック」や「DJメカヤクザ」についても、「じつはYouTubeで見させてもらったり、ネットで色々調べてみたんですよ、音源ないですか?」などと興味津々で語りかけてきました。
さらに「CLUBって行ったことないんですが、どうなんですか? 行ってみたいんですけど、私でも大丈夫ですかね、どういうファッションで行けばいいですかね?」など。

みなさん、どうです。兵庫県警でも話題沸騰のハチロックやDJメカヤクザの出演オファーをお待ちしております!

(「3」につづく)

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「宅八郎容疑者」としての見解、声明だよ〜♪(1)

「宅八郎容疑者」としての見解、声明だよ〜♪(1)(長文)

オタク評論家の宅八郎です。
この肩書きは20年近く使っていますが、現在では音楽活動も加わったりしています(a.k.a.h.a.t.a.[DJメカヤクザ]など)。
まず、これまでボクが音楽評論家・四方宏明について記した文章はアメブロ・ココログに記していますので、より詳細を深く知りたい方はバックナンバーにお目を通していただければ、と思います。mixi日記は運営事務局によって、複数一気に削除されてしまったので、〝暗喩〟としての日記しか現在は見れないかと思います。
なお、mixi運営事務局とのやり取り全文公開もブログではしています。

昨日から今日までに多くの取材を受けましたが、たとえばテレビだと「宅さん、画面の背景にマジックハンドを置いてくれませんかね」というような「絵づくり」に協力したりもしました。これは報道とか情報番組であっても、「面白くしたい」見えない意志がどこかにあり、ないしは「視聴者も面白がっている」とも言えます。そういうものです。
なお、テレビ番組ではボクが把握している限り、明日25日(日)朝8時〜放送の日本テレビ系『TheサンデーNEXT』(司会・徳光和夫)で取り上げられるようです(9時くらいではないか、とのことでしたが変更される可能性あり)。

さて、では今回の書類送検について、本人から記していきます。
覚悟をしていたのでショックを受けているような感情は一切ありません。
まず、有名人や芸能人に何かがあった際に口にする、よくあるような言葉がありますよね。
「まさか、こんなことになるとは思いませんでした」とか「被害者に対して謝罪したいです」とか「世間をお騒がせして大変申し訳ありません」とか。
そういった言葉はボクの口から一切口にする気はありません!
ボクによる音楽評論家・四方宏明への「処刑宣告」にいたる経緯は後述しますが、脅迫容疑で書類送検されてボクは容疑者(被疑者)になったわけです。
しかし、これはある意味での〝研究者〟による「論争」というべきものであって、国民の税金によってまかなわれる「予算」で捜査、送検という事態になったのは、当事者のボクとしては残念であり不本意です。言論に公権力が介入するのはどうかと考えているからです。
今後、ボクが「被告」の立場になるとしても覚悟はしています。

ボクが書き記した「処刑宣告」「ブッ殺します」「地獄行きです」といった表現が今まさに問われているわけですが、そうした言葉選びを20年近くしてきたボクの「作風」「芸風」についても説明していきます。

では、今回の書類送検にいたるまでの捜査の流れを2ブロックに分けて記します。

まず、今年の3月19日23時半頃にボクはmixi日記で、四方宏明に対する「処刑宣告」をしました。なぜ、そうした流れになったかは後述します。
そして、日付けが変わった3月20日になって、当時マイミクであった「先生☆」こと四方宏明が、ボクの日記を読んだようです。そして、翌21日夜には、神戸にある四方の自宅で、兵庫県警の警察官に「相談」をした事実があります。事実となぜ言えるのかと言えば、四方宏明がmixiメッセージでボクに伝えてきたからです。「警察」「被害届を出すかどうか・・・」といった、そのメッセージ文面にはどこか「お上の後ろ盾をちらつかせて、威圧する」ようなニュアンスがありましたから、ボクは当然不愉快な気持ちになりました。

つまり、兵庫県警による「事件」の把握は3月21日ということになります。その後、四方が弁護士に相談していたらしいことは知っていますが、最初の被害届を提出し、それが受理された年月日はボクは知りません。6月という報道もありましたが、それが複数ある被害届のうち、最初の一通目かどうかウラは取っていないでしょう。
もちろん、ボクは兵庫県警が数ヶ月かけて、どのように「事件性」を考慮し、「立件」に向けて動いていったか、そのすべては知りません。
では、ボクに対する強制捜査の実態はどういうものだったか、は話が前後してしまいますが、後述します。

「アメブロ」「ココログ」のバックナンバーを読んでいただければ、詳細が分かりますが、ことの発端は2007年11月5日付で、Webサイト「All About」(オールアバウト)に掲載された「アキシブ系〜侮れないアニソン」という四方宏明が執筆した原稿、ということになるか、と思います。
ところが、ボクはこの文献の存在を今年2009年初春まで知りませんでした。
その頃、ボクが「渋谷系」という言葉への違和感から、自分は「秋葉系」でも良いだろうが、正確には「上野系」だな、などと用語のぼんやりした認識整理をしていたのです。そこで秋葉系と渋谷系のMIXとされる「アキシブ系」という言葉の意味合いを調べ直したところ、重要文献とされていた四方宏明が書いた記事を発見したという事情があります。
その記事には何とボクの名前も記されていたのです。ただ誤解されたくないのですが、ボクは名前を出されて困るわけではありませんし、秋葉系(いわゆるオタク)のマス・イメージとして宅八郎が登場するのは自然な流れではあります。
しかし、その記事にはかなりの問題がありました。問題だらけです。どう、具体的に問題を感じたか、という詳細はやはりブログのバックナンバーを読んでいただくのが一番良いです。
端的に言えば、そこには差別的文脈が複数感じられた、ということになるでしょうか。たとえば、「侮れない」という言葉の持つ意味は、〝本来侮れるはずの〟という四方宏明の思想が感じられます。この人はこの「侮れない○○」というタイトルの原稿が本当に多いのですが。

ボクが驚いたのは、重要文献の執筆者が四方宏明だったことです。なぜなら、四方とボクが知り合ったのはもう何年も前のことで、今まで何回も会っていたし、食事をしたこともあったし、イベントで共演したこともあったのです。明らかな「知人」です。トラブルになるまではmixiのマイミクでした(ある日、突然姿を消し、アクセスブロックされました)。
2007年11月5日付けで発表されたこの原稿を四方が執筆する直前にも会っています。ところが、「宅さんの名前を出して、こんな記事を書きましたよ」という連絡があったわけでもなく、事前にも事後にも、これまで何も聞かされていなかったんです。ボクは「そりゃ、ないだろよ」と不義理に思いました。もっともこの人のボクに対する悪意についてはそれ以前に気づいていましたが、それもブログのバックナンバーに記しています。

ここで、説明が必要です。
現在はブログなどの手段によって、プロの表現者ではない一般人であっても、その主義主張や意見などなどをネット上で、気軽に発信することが可能な時代です。良い時代とも悪い時代とも言えます。プラスとマイナス両方の側面がそこにあるでしょう。と言うのは、相当に考えが歪んだ記事や差別に直結するような記事など、ネットをさまよえば問題の多い日記などはいくらでも発見することは可能です。
しかし、逆にボクは「会社員」「OL」「主婦」「学生」などの一般人が、自分のブログなどで何をどのように書いても、ボクがケチをつけることはまずありえないと思っています。ボクの悪口が書かれてあっても構いません。

問題なのは、四方宏明が音楽評論家を名乗って、著書やライナーノートなど複数執筆し、テクノポップという分野では著名な人間だということです(いわゆるテクノポップ以外の分野での発言も多い)。明らかに一定の影響力のある人なわけです。今回の事件では「一会社員」づら下げてますがっ。
そして、その記事(原稿・文献)が掲載されたのが、〝その道のプロ、資格を持った専門のガイド、有識者が情報を発信〟などと謳っている、「All About」(オールアバウト)というサイトだったこと。これはジャンルによると思いますが、世間一般の方々は、このサイトを見て「専門家の言葉やアドバイス」をそのまま受け止めてしまう可能性が高いわけです。影響力は見逃せません。正すべきは正さなければならないと思いました。
なお、四方宏明は一本の原稿料として5万円を受け取っている事情があります。お金を受け取って執筆された原稿は「プロ原稿」ということになるか、と思います。原稿料相場として5万円はうらやましい話ですが、もちろん、ボクがそれを嫉妬したというわけではないです(苦笑)。

また、Wikipediaも非常に影響力があるサイトだと思いますが、「アキシブ系」という項目からは、四方宏明文献に外部リンクが張ってある始末でした。もはや一記事と言うよりは「重要文献」と受け止められるものです。
この文章はこれまで1年以上2年近く、広く世間に読まれてしまっているだろうなと考えると、クラクラしました。
なお、Wikipediaのその項目はその後、四方の友人によって編集されてしまった結果、四方を擁護する一面を持っていますので要注意です。また、Wikipedia「宅八郎」項目にも明らかな間違い、事実誤認があります(ボクは〝百科辞典〟とされている以上、本人が編集してしまっては主観に他ならず、客観的な記述とは言えないんだろうな、と考えて放置しています)。

さて、そんな四方原稿を読んでしまったボクはどうしたか。
四方宏明は知人といっても「友人」とまでは言えない関係だったために(まあ、彼がお高くとまっていたせいもあります)、ボクと四方との共通の友人を介して、「この記事には相当の問題がある」「他の四方文献も読んでいるところだが、執筆姿勢に問題のある人だ」「ボクも自分の名前が登場している以上、これはどうにかしないといけないと考えている」といった事柄を伝えてもらうことになりました。

ところが、四方宏明からは言い訳めいたメールが一通届いただけでした。言いくるめようとする態度がそこにはありました。それこそ「お酒でも飲みながら、まあまあ」と誤魔化そうとするような態度ですらありました。先に触れた「伝言役」になってしまった共通の友人からは、「宅さんと四方さんが関西で会ってトークをして一件落着すればどうですかね、着地点としては」というような〝提案〟も聞かされています。これは四方の「伝言」という意味合いではないかもしれませんが、そうであるかもしれません(共通の友人は今やボクと四方のあいだに立たされて苦しい立場に悩んでいるとは思います)。

しかし、そんなバカな話がありますか。ネットで広く世間に発表され続けていた記事ですよ。その文献を真に受けた読者も多かったはずです。それを内々の話で済ます、などというのは隠蔽以外の何ものでもないわけです。
ボクは四方原稿の削除は求めておらず、むしろ、四方自らによる「謝罪」や「訂正」、ないしは宅八郎による「注釈」を加えるといった、一般読者にも分かるような透明性のある手段を執りたいと考え、それを伝えてもいたわけです。「密室」で処理するものじゃない。

しかし、執筆者、四方宏明の要請によってAll Aboutはその記事を全文削除してしまいました。ボクは1年以上2年近くも一般読者に読み続けられていた事実がある以上、むしろ流れや論点、問題点が不明確不明瞭になってしまうと考えたわけです。書き逃げである、と。
そこで、ボクは四方宏明の全面追及、全面批判を展開するにいたった、というわけです。彼は著名な音楽評論家です。なので、社会的公益性があるとも考えました。その後、公開質問状をメールで送ったことも何度かありましたが、四方からの返信はまったくありません。
追及・批判は最初にはmixi日記で記していましたが、ある時期に運営事務局に「通報」され、いくつもの日記が一気に削除されてしまったので、「支店」を開設することにしました。それが「アメブロ」と「ココログ」です。削除措置を執り、ボクのアカウント削除もほのめかしてきた、mixi運営事務局とのメールでのやり取りもすべて外部ブログに記しています。

「アメブロ」と「ココログ」を選んだのには深い意味はありませんが、中川翔子さんと眞鍋かをりさんが書いていたからかもしれません。
ところで、先日テレビの取材を受けた際に、ボクのブログタイトルが「宅八郎の処刑日記」となっているのは問題だとお考えですか、四方宏明氏に対するものですよね、というような質問がありました。
ボクは応えました。
「今回の問題がなかったとしても、中川翔子さんなら『しょこたん♡ぶろぐ』、眞鍋かをりさんなら『ココだけの話』というタイトルになるように、宅八郎なら『処刑日記』になるのは、もはや必然です!」と。

(「2」につづく)

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書類送検されたボクの本日最後のメッセージ

さて、その後も今日はTBS、日本テレビ、アメーバニュース、メンズサイゾーなどの取材を受け続けていました。日本テレビは日曜日朝8時〜放送の『TheサンデーNEXT』(司会・徳光和夫)です。

今日は「同じ話を何度もする必要がありました。視聴者や読者が求める、「説明」は同じようなものになるのは仕方がないことです。
ただし、テレビであれば尺の問題(限られた何分何秒という時間)、活字であれば、文字数の問題があります。編集するのはメディアの側です。ですから、ボクの肉声でも「この部分を使う」「使えない」「使わない」という判断はゆだねることになります。

また、報道は客観的に見えるように演出する必要がありますから、ボクの言いたい放題に出来るわけではないですよね。それは仕方ないことです。

結果的には、「この放送」だけを観ると、「この記事」だけを読むと、視聴者や読者には誤解する方も出てきますし、人それぞれの捉え方の問題もあるか、とは思います。

最もボクの「言い分取材」をある程度の文章量を割いて、掲載してくれたのは「メンズサイゾー」でした。

以下がそのアドレスです。
http://www.menscyzo.com/2009/10/post_444.html

しかし、これも「言い分取材」による報道の一つだとは言えます。
今日は取材の連続であまりに疲れてしまったので、あくまでも自分自身の見解を自分で執筆し、発表できるのは明日かあさってになってしまうか、と思います。

どうか、ご容赦ください。

ボクの見解は発端となった「mixi日記」、さらに四方宏明は複数の被害届を出しているために、「ココログ」、「アメブロ」に書き記すつもりです。ただし、mixi運営事務局や各社の判断によって削除される可能性がありますので、それぞれに同じモノを用意します。
なお、各社が削除をした際にはその経緯の詳細を事細かく記すことにします。「談合」があって「各社一斉削除」という事態にならなければ、それぞれに都合の悪い状況を明らかにすることになるでしょう(うふふ)。以前のブログでmixi運営事務局とのメールのやり取り全文を発表したことを確認してみて下さい。

これは主義主張を表明する「場所」の確保という意味ではボクにとっては複数の「保険」になります。
ただし、対立する当事者〝音楽評論家なのか一会社員なのか、態度をコロコロ変える〟自称「先生☆」四方宏明にとっては、複数の「地雷」とも言えます(笑い→これも脅迫になりますか?)

ボクは一会社員である「一般人」に対して、逆恨みをして攻撃を加えるなどということは考えてもいませんし、これまでにしたことは一切ないですよ。


ココログ「宅八郎の処刑日記」
http://takuhachiro.cocolog-nifty.com/

アメブロ「宅八郎の処刑日記」
http://ameblo.jp/takuhachiro/

mixi
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=45916

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補足です

前のブログの補足です。
通信社からは取材を受けていないのですが、共同通信社の配信記事には、ほとんど問題はありませんでした。ところが、時事通信社の配信記事は偏りを感じます。例えばですが「2人は2007年末に、仕事を通じて知り合った。」と四方宏明とボクが知り合った時期について断定的に書いていますが、これは間違いです。もっと以前から知り合っています。

ところで、四方宏明という人は自分の都合で、「音楽評論家」(先生)になったり「会社員」(一般人)になったりするんですね。

ボクはこれでも社会的公益性と言うことは考えている人間のつもりです。たんなる怨恨から一般人に対して何かしようとするつもりもなければ、これまでの人生でしたこともありません。

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「脅迫容疑による書類送検」について取材を受け続けています。

かなりの数の取材を受けている最中の書き込みです。
そのため、長文での書き込みがすぐにはできないことをお許しください。

とりあえず、テレビメディアでは16時55分〜のフジテレビ『FNNスーパーニュース』と、16時53分〜のテレビ朝日『スーパーJチャンネル』でボクの肉声が流れるハズです。

新聞だと『朝日新聞』と『毎日新聞』はボクに電話取材をしてきました。警察発表だけでなく、当事者の「言い分取材」をしていただけると、幸いです。もちろん、客観的立場に立った「報道」ですから、一方的にボクに味方してくれるわけではないとしても、です。

そうでないと、肩書き一つとっても「元オタク評論家」ということにされてしまったり(「現」です)、「秋葉系を揶揄されたことに腹を立て〜」などといった間違いが生じてしまうものです。

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本日、脅迫容疑(苦笑)で書類送検されることになりました。

■ミクシィに「ブッ殺す」…宅八郎氏書類送検へ
(読売新聞 - 10月23日 03:54)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=998144&media_id=20

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/attack_warning_on_web/?1256239608

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091023-OYT1T00018.htm?from=main4


mixiニュース(配信・読売新聞)に掲載されるとは皮肉なことです。なお、東灘署に加えて兵庫県警も強制捜査に加わっていましたし、供述調書作成は警視庁の協力の下に行われました。
読売新聞の記述は〝誤り〟があります。それは取材先が警察のみでボクへの取材がなかったためでしょう。
ボクの見解はこのmixi日記に書き記すつもりです。ただし、削除される可能性がありますので、以下の「支店」(外部ブログ)に同じモノを用意します。

ココログ「宅八郎の処刑日記」
http://takuhachiro.cocolog-nifty.com/

アメブロ「宅八郎の処刑日記」
http://ameblo.jp/takuhachiro/


なお、マイミクで最初にこのニュースについて日記を書き記してくれたのは、「きっこ」さんでした。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1317993469&owner_id=172710
ありがとうございました。

また、マスメディア関係者の取材も当然、堂々とお受けします。
資料もご用意いたします(捜査の実態は録音録画してありますので、必要であれば「音声データ」「映像データ」の提供も可能です)。
ボクの連絡先は全体公開日記の、ここに記すのは混乱を招きますので、お調べ下さい。
調べられない場合、メールは必ずチェックしますので、返信をお待ち下さい。

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